「不登校経験者」とうたっているのですが、当時はまだ「不登校」という言葉ではなく「登校拒否」と言っていたような気がします。
確かに、わたしは「登校を全力で拒否」していました(笑)
まぁ、どっちでもいいですが。
今回は、「忘れたかった不登校の思い出」について、少しお話ししようと思います。
どうぞ、お付き合いください。^ ^
まんがで分かる「忘れたかった不登校の思い出」
忘れたい過去は、本当に忘れるらしい。
言われてみれば…というレベルなんですが、プリントを渡した友達が帰るために一度後ろを振り向いて、またこちらを向いたところまではぼんやりと覚えていました。
しかし、記憶はそこまでで切れていました。
そのあとに言われたことも覚えていなければ、どれだけ自分が荒れたか、そこからどうやって立ち直ったかはまったく覚えていません。
不思議ですね。
忘れたいところだけ、すっぽり忘れているのです。
自分の心を守るしくみ。 「抑圧」は防衛機制の一つ。
わたしの心が、そう判断したんでしょうね。
先生から「死んでるかもしれない。」なんて言われたのを覚えていようもんなら、今後生きていけないんじゃないかと思ったのでしょう。
ある意味では、わたしの心は正常にはたらいていたのです。わたしを守るために。
当時のわたしに伝えたいこと。
ひとこと伝えるなら…
でしょうか(笑)
意図的にではないにせよ、生きるために「忘れる」という判断をした自分の心に「ありがとう」と言いたいです。
その判断のおかげで、今のわたしがあるんですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!^ ^
◇柴ゆきのつぶやき◇
「死んでるかもしれない」…かぁ…。正直きっついですね(笑)自分ですら、当時の自分のことを「かわいそう」と思ってしまう(笑)。ただ、先生側に立ってみることもあって、こんなことを言わないといけないくらい「不登校の子がいるクラスの担任」は追い詰められていたのかな、と思うこともあります。まぁ、だからと言って言っていいことと悪いことがありますけどね!^ ^