不登校

不登校児が学校の先生に!でも「学校好き」にはなれなかった話。(笑)

柴ゆき
柴ゆき
こんにちは。不登校経験者で元教員の「柴ゆき」こと、柴田ゆき野です。

 

今回は、「不登校児が学校の先生に!でも『学校好き』にはなれなかった話。(笑)」という…

 

ケロさん
ケロさん
…って、タイトル長っ!!!

分かりやすさを追求したら、こんな長ったらしいタイトルになりました。タイトルで、すでに出オチみたいなもんですね。

それでも、読んでいただける方は、どうぞお進みください!

 

小学生で不登校を経験。不安いっぱい中学校。

小学5年生の夏休み明け、私はあるときパタッと学校に足が向かなくなってしまいました。

その辺りのことは、別記事に詳しく書いておりますので、関心のある方はどうぞお読みください。↓こちら(※サイト内記事です。)

小学校6年生まで、私は行ったり行かなかったりを繰り返します。小学校6年生の最後の方は、毎日登校していたように思います。

しかし、登校できるようになっても、ある不安が私の中にありました。それは…

「また学校に行けなくなるんじゃないか。」

ということでした。

 

柴ゆき
柴ゆき
いやさー。自分でも、何が原因なのか、当時さっぱり分からなかったんだよね。何がきっかけで行けなくなって、何がきっかけで行けるようになったのか…分からなかったの。
ケロさん
ケロさん
しかも繰り返してるから。
柴ゆき
柴ゆき
それそれ。二度あることは三度ある。みたいな!!

 

一見、中学校に進学した私は「不登校状態から脱した」ように見えたと思います。が、心の中は、「また行けなくなるんじゃないか。」という恐怖が常に渦巻いていました。

そんな私を救ってくれたのが、中学校1年生の時の担任の先生の言葉だったのです。

 

不安を一掃してくれた担任の先生の言葉

中一で担任になってくれた先生は、私が不登校になった小5・6年生の時の担任の先生をイメージさせるような、厳しい先生でした。私が苦手なタイプの先生です。(笑)

当然、私が小学校で不登校だったという話は伝わっていたと思います。

しかし、当時の私はそんな教員間の裏事情は知りませんので、「不登校だったって知られたら、見放されそうだなぁ。」と、ぼんやり考えていました。

 

しかし、4月当初の家庭訪問で、そんな私の不安を一掃する出来事が起こるのです。

私は、不登校だったことを言わないで欲しかったのですが、やはり母は心配だったのでしょう。私が不登校だったことを、母が言ってしまったのです。

 

ケロさん
ケロさん
どんな気持ちだった?
柴ゆき
柴ゆき
うーん。なんて言うか。身ぐるみ全部ひっぺがされた感じ?あーもーどーにでもしてーって(笑)

 

しかし、動揺する私を目の前にして、先生が発した言葉がコレでした。

 

「大丈夫ですよ。私も、そうでしたから。」

 

…衝撃でした。「えっ?学校の先生が?…こんなに強そうな先生が??」

 

先生が不登校だったと言う事実を知った衝撃も大きかったのですが、何よりも「大丈夫」と言ってもらえたことが、私の心に響きました。

あっ。私、大丈夫なんだ。…と。

 

私が出会った、初めての「不登校経験者」が、この先生だったのです。とても心強かったことを、今でもはっきり覚えています。

そして、自分の経験を話すことで少しでも人を楽にできるのかもしれない、と、この時の経験から思うようになります。

 

将来は、不登校の子の役に立つことがしたい!

自分の「不登校の経験」が生かせる仕事…不登校の子の役に立つ仕事がしたい。中学校を卒業する頃には、そう思うようになります。

中学校時代に、心理学にも興味を持ち始め、お小遣いで本を買うほどその関心は高まっていました。その気持ちを持ったまま、高校へ進学。大学は心理学コースのある、教育学部のある所に絞って受験し合格!

 

柴ゆき
柴ゆき
こう書くと、根っからの教員志望みたいに思われると思うけど、断じて違うからね。
ケロさん
ケロさん
そうなの?!なんか、教員目指してまっしぐら!しかも中学校以降は順風満帆みたいに思えるけど。
柴ゆき
柴ゆき
それも断じて違う。

 

話がずれちゃうので、この記事ではあまり詳しく触れませんが、中学校でも高校でも大学でも、いろんな所にぶち当たっています。

中一の担任の先生には救われましたが、小学校で発動した私の「教員嫌い」は、そうそう治ると訳もなく、自分は「学校の先生にだけはならない。」と思っていたほどです。

 

ケロさん
ケロさん
じゃあ何で大学が「教育学部」なのさ。
柴ゆき
柴ゆき
親が関係している。コレも書き始めたら話がズレてしまうので今回は割愛。

 

いわゆる、毒親。ですかね。このテーマでも結構記事かけそうだなぁ。

 

ちょっと、話がそれましたが、「絶対に教員だけにはならない。」と同時に「私は向いていない。」とも思っていました。が、その不安は教育実習を終える頃にはなくなっていました。

進路については、それまでは大学院に行って臨床心理士になろうと思っていたのですが、親からの猛反対を受け泣く泣く諦めることに。卒業まで悠長に構えている暇もなく、大学4年時に教員採用試験を受けることに。

 

柴ゆき
柴ゆき
そして、合格。大学院を諦めたことに関しては、「甘ったれ」の一言。親の反対なんて振り切って受けるべきだったと思ってる。
ケロさん
ケロさん
まぁでも、毒親の呪縛から解き放たれる前の出来事だからね。
柴ゆき
柴ゆき
私も世間知らずだったし。…それは、今もか。

 

「学校嫌い」でもいい!

そんなこんなで、大学卒業後、小学校教諭としてスタートすることになりました。

私が教員として勤めていた期間は8年間です。

8年間…特別長くはない期間ですが、登校しぶりのある子、不登校の子にも出会うことができ、内容的には濃い8年間だったと思っています。

「不登校の子の役に立ちたい」と思いつつ、私の教員生活の裏テーマは「何で自分が不登校になったか知りたい。」というものでした。

 

それに関して言うと、不登校の子どもたちとも関わってみて、自分の中で納得できた答えが…

 

「あっ、別に学校嫌いでもいいんだ。」

っていう単純な理由でした。(笑)

 

大人になって気づいたのは「学校が全てじゃない。」ということ。

子どもの頃って、学校の存在ってとても大きいですよね。…でも、決してそれだけじゃない。

学校の先生は「学校って楽しいでしょ。」「学校みんな好きでしょ。」って価値観を押し付けてくる人多いけど、そう思わなくってもいい。学校嫌いでいいんだ、と思えるようになり、私の裏テーマの真理を探し求める旅は終わりました(笑)。

8年間勤めましたけど、今でも「学校嫌い」です。特に小学校・中学校は嫌い。(笑)

社会に出てみて思うけど、やっぱりあの世界は「独特」です。

 

独特って言うか、独自ルールが多すぎる。規律を守るための独自ルールだと思うのですが、そのほとんどが社会に出たら通用しないルール。そして、社会に出たら「自分で判断しなきゃいけないこと」が、独自ルールで決められており、判断力が身につかない要因になっているとも思うんです。(例えば、水筒を持って来る・来ない。とか、体育の時肌着を着用する・しない。とかね。)

あと、合理的に考える人にとっては、学校は非合理的なことが多いので、無駄に思えることが普通に「いいこと」として行われていることがしばしばありますよね。(昼休みの全員遊びとか、朝の挨拶運動とか)

無駄を嫌う人にとっては、やっぱり学校って息苦しいところかもしれないと、教員として過ごすうちに強く感じました。

 

だから、言います。

「学校嫌い」でもいいです。それで、いいんです。

 

今日のまとめ。

◇「学校嫌い」もアリ!! 以上!!

 

柴ゆき
柴ゆき
嫌いなものを無理して好きになる必要はないと思います。その分、好きなことに情熱なりエネルギーなり使ってください!
ケロさん
ケロさん
好きになることにしろ、嫌いになる理由にしろ、はっきりしないことが多いからね〜。「嫌いなものは嫌い」って割り切ることも大切かもしれないね。

以上、「不登校児が学校の先生に!でも『学校好き』にはなれなかった話。(笑)」というタイトルでお届けしました!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

◇柴ゆきのつぶやき◇

教員時代に不思議に思ったことの一つに、「学校評価アンケート」があります。子どもの評価項目に「学校が好きか、嫌いか。」を4段階で評価する項目があったんですが…できるだけ嫌いを減らして、好きを増やすように会議等で指示が出ます。嫌いに○をつけた児童には、別に聞き取りをしたりもします。つまり、学校では「学校が好き」が「いいこと」なんですよね。そりゃ、好きに越したことはないとは思うのですが、「嫌い」でもいいじゃないかとずっと思っていました。学校好きな子もいて、嫌いな子もいる。それが本当の「みんな違って、みんないい」ではないのかな、とも思ったりします。