不登校

わたしと不登校とまるちゃん。

柴ゆき
柴ゆき
こんにちは。元不登校ブロガー「柴ゆき」こと、柴田ゆき野です。

2018年8月15日。漫画家のさくらももこさんが亡くなられました。

「漫画家の」と紹介されている記事がほとんどなのでそう記しましたが、私にとって、さくらももこさんは「エッセイスト」のイメージがしっくりきます。

私と、さくらももこさんのエッセイとの出会いは、忘れもしない私が不登校だった時でした。

今回は、「わたしと不登校とまるちゃん」と題して、さくらももこさんのエッセイとの出会いで、私に起こった変化を書きたいと思います。

 

さくらももこさんのエッセイとの出会い

冒頭でも触れましたが、出会いは不登校で家に引きこもっていたときです。

家にいる時間は、現実逃避のために寝るか、絵を描くか、漫画を読むかでした。

寝るのにも限界がある。絵も描き続けていると自分の下手さ加減が嫌になってくる。漫画も家にあるものは何回も、それこそ覚えるくらい読んでいるから飽きる。

そんな私が手に取ったのが、母の本棚に並べてあった、さくらももこさんのエッセイ「ももこの話」でした。

この「ももこの話」。

「あのころ」「まる子だった」「ももこの話」という、作者の少女時代の回想シリーズ三部作の最終巻なわけですが、なぜかうちにはこの「ももこの話」しかなかった。(笑)

大雑把な母らしいです。

しかし、手に取った時はそんなことはもちろん知りませんでした。どんな感覚で手に取ったかと言うと…

 

柴ゆき
柴ゆき
あぁ、まるちゃんの本だ。絵も入ってる。なんか面白そう。

 

と、軽い気持ちで手に取りました。

アニメ「ちびまる子ちゃん」はもちろん、見ていましたが、「まるちゃん」に対する当時の私のイメージはそんなによくはなかったですね。

なんて言うか、わがままで、ちょっとずる賢くて、意地っ張りで…

 

柴ゆき
柴ゆき
わ、今これ「まるちゃん」のイメージ並べて書いてて思ったけど、これまんま私の特徴だ。
ケロさん
ケロさん
同族嫌悪ってやつだね。
柴ゆき
柴ゆき
う☆る☆さ☆い☆

 

まぁ、それはアニメのまるちゃんのイメージですね。

イメージそのものはよくはなかったものの、なんとなーく日曜の18時は「ちびまる子ちゃん」を見ていました。

そんな「まるちゃん」の本があるんだ、と改めて本棚を見て気づき、興味をそそられた私は読んでみることに。

思い返せば、これは私が自発的に読書をするようになったきっかけでもありました。それまでは、漫画しか読んでいなかったんですよね。

 

まるちゃんの心配性と楽観視に大いに共感!

読んでみると、あらびっくり(笑)

「え、まるちゃんって、こんな子だったの???」

まぁ、「ちびまる子ちゃん」はあくまで実話をもとにしたフィクション。エッセイは完全なる実話なわけで…ちびまる子ちゃんでお馴染みのキャラクターもどこか性格が違います。

私は、まるちゃんはエッセイの方が好きでした。つまり、ありのままの「さくらももこ」さんの子ども時代に、ものすごく魅力を感じてしまったのです。

小さいことが気になる心配性な面と、「なんとかなるさ」と楽観的な面。

共感できるところも多く、くすっと笑ってしまうこともたくさんありました。

普段、本を読まない私でしたが、「もも子の話」は一気に読んでしまうくらい、どの話も面白かったのを覚えています。それどころか、本当に何度も何度も読み返しました。

そして、同じく母の本棚にあった「さるのこしかけ」「たいのおかしら」も続けて読みました。これも3部作なのですが、なぜか「もものかんづめ」が無いと言う…(笑)

こちらは、さくらももこさんの大人になってからの話でしたが、子ども時代の「心配性」と「楽観視」を引き継いでいて、「もっと読みたい!」と子どもながらに思っていました。

すっかり、さくらももこさんのエッセイの虜になってしまったのです。

 

「これでいいんだ。」って思えた。

さくらももこさんの色々なエッセイを読み進めるうちに、私が思うようになったのは「これでいいんだ。」っていうことでした。

詳しく言うと、「こういう面白おかしい生き方も、あっていいんだ。」ってこと。

エッセイに出てくるまるちゃんは、遠足のトイレを心配するような繊細な面を持ちつつ、紙芝居屋さんにお小遣い全額つぎ込んでしまうような大胆(笑)な面もあり、不登校だった私に取って、とっても魅力的な人物に映ったのでした。

 

こんなコトを心配に思う人もいるんだな。

こんなに考えなしに行動する人もいるんだな。

 

自分の中の世界が、どんどん広がっていくのを感じました。

そして、「これでいいんだ。」「いろんな生き方があっていいんだ。」って思えるようになったのです。

家にあった著書を読んでしまってからは、自分のお小遣いで新刊のエッセイ本を買ったこともありました。

大人になって、結婚されて、お子さんができてからも、さくらももこさんのエッセイの魅力は変わりませんでした。

なので、今。改めて、亡くなられたという事実に向き合っても、困ったことに全く実感が湧きません。

さくらももこさんへの想いは、初めて出会った私の不登校時代から色褪せることなく、いまも胸の中で輝き続けています。

きっと、これからも、それは変わらないのだろうと思います。私の中の、どこかに「さくらももこさん」がいて、これからも生き続けていく…。

困ったとき、壁にぶち当たったときは私の中の「さくらももこさん」に相談するかもしれません。「あなたならどうする?」って。そしたら、なんて答えてくれるでしょうか。

「あたしゃ知らないよ。」ってあしらわれるかもしれませんね。^ ^

 

亡くなってしまわれた今、生前にこの記事を書くことができず、とても悔しい気持ちでいっぱいです。

「ありがとう。」の気持ちが、天国のさくらももこさんに届くことを祈って。

本当にありがとうございました。