不登校

【不登校】わたしが不登校になった日。【きっかけ】

柴ゆき
柴ゆき
こんにちは。元不登校ブロガー、「柴ゆき」こと、柴田ゆき野です。

今回は「わたしが不登校になった日」と題して、私が不登校になったきっかけを紹介していきたいと思います。

 

ケロさん
ケロさん
きっかけ…があるの?
柴ゆき
柴ゆき
うーん。はっきりと「きっかけ」はないんだけどね。とりあえず、漫画を読んでもらえれば。

 

それでは、どうぞ、お付き合いください。

 

漫画「わたしが不登校になった日」

これは、忘れもしない。小学5年生の夏休みが明けて、数日後の朝の出来事です。

 

 

 

ケロさん
ケロさん
……きっかけ、とは?
柴ゆき
柴ゆき
すべての不登校に当てはまるわけではないけど、「きっかけ」なんて特にないこともあるんだよね。

 

そうです。はっきりとした「きっかけ」なんてものは、私の場合ありませんでした。

なんの前触れもなく、突然「それ」は起こったのです。

なんか怖い。なんか行きたくない。なんか嫌だ。

その「なんか」が分からなくて、苦しむことになります。

 

「原因探し」には意味がない。

多くの場合、自分の子どもや、学校の先生の場合なら自分のクラスの子どもが不登校になった時、「原因探し」をします。

いじめがあったのではないか。

家庭環境に何か問題があったのではないか。

勉強が分からなくて困っていたのではないか。

これらの問題を見つけて、解消し、学校復帰を目指すというのがよくあるパターンです。

…しかし、「不登校」には原因がないことも多いと私は考えています。

 

不登校の「原因」がない場合もある。

ケロさん
ケロさん
柴ゆきがそうだった?
柴ゆき
柴ゆき
そうだね。友達にも恵まれていたし、勉強は普通にできたしね。
ケロさん
ケロさん
(何気に自慢?)

 

自慢でも何でもなくて(笑)

 

本当に、学校生活において、不登校になりそうな心当たりがなかったのです。

 

おそらく学校の先生にしたら「何で柴田が?」状態だったと思われます。

ただ、大人は親切心(?)からか、「友達の〇〇さんが、合わないんじゃないか。」とか「〇〇先生の教え方が下手だからじゃないか。」など、不登校の当人に聞くわけです。

何とか原因を見つけて解消してあげたい!という想いからだとしても、それは本人にとっても分かっていないことの方が多い。

でも、当事者の子どもも、そんなに切羽詰まって親に尋ねられたら「そうなのかも?」と思っちゃうことがあります。親はそれで少し安心して、何とか対応を考えるわけですが…

 

思い当たる「原因」をクリアにしても、学校復帰ができない。

先生や親が「原因」を突き止め(たつもりになり)、それを解決したとしても、なぜか子どもが学校に行きたがらない…。

こういう例って、結構あるんですよね。

 

子どもにとっても、表向きの原因は「言いやすいこと」「わかってもらいやすいこと」を言っている可能性もあるので、それだけを鵜呑みにしないほうがいいです。

もっともっと本質的なことが、無意識の中に隠れていて、それを見つけ出すのは当人でも難しい。

私のようになんの前触れもなく、不登校になる場合は「原因探しが無意味なケース」も多いのです。

 

対応は?気持ちに寄り添う。 学校が全てじゃない。

ケロさん
ケロさん
原因探しが意味がないなら、周りは何をしたらいいのさ?
柴ゆき
柴ゆき
分かってあげて欲しい。前触れなく不登校になるって、漫画にも描いたけど先の見えないトンネルにいきなり放り込まれたのと一緒なんだよね。その不安な気持ちに寄り添ってあげて欲しい。

 

「不登校でも大丈夫!」

子どもにとって、「学校」って、ものすっごく大きな存在なんだなぁと、教員生活を通してつくづく感じました。「ほぼ全て」と言ってもいいくらいでした。

 

その学校に行けなくなるって、ものすごく大きな自分の「アイデンティティ」を失うことだと思うんです。

明るく「学校、行かなくてもいいか!」って思える人、それが許される環境にある人は、それだけで幸せだと思います。

 

多くはそうではない…、その不安な気持ちに寄り添ってあげて欲しい。

 

そして、「不登校でも大丈夫だよ。」って言ってあげて欲しいです。

 

不登校が受け入れられる場所、人を探してみる。

実際、広い視野を持ってみれば、義務教育で不登校になったけど、立派に大人になって仕事もしてて…っていう人って結構多いんです。

 

まだまだ、「学校」の存在ってかなり大きいけど、少しずつ「フリースクール」の存在も認められるようになってきました。

もっともっと、選択肢が増え、「不登校」を選択できる社会になってくれると、多くの人が生きやすくなるのではと思います。

 

ケロさん
ケロさん
なるほどね。選択肢が増えたら、例え学校に行きたくなくても「じゃあどこに行こうかな。」って考えられるもんね。
柴ゆき
柴ゆき
そうそう。学校行けなくなったらお先真っ暗!っていうのだけは嫌なんだよね。

 

私も、教員を辞めた今年の四月から、不登校についてもう一度考え始め、自分ができるところで活動をし始めたところです。

まだまだ、これから、ではありますが、こうやって発信していくことも活動の一つ。

このブログが、次の活動に繋がれば、という想いです。

 

最強メンタルは、開き直ること!

柴ゆき
柴ゆき
さっき、原因がない場合が多いって書いたけど、全ての場合に使える唯一にして絶対的な原因が実はあるんだよね。
ケロさん
ケロさん
えっ?!何それ、このブログの中で言ったことを、もうこのブログの中で覆すわけ?自分の言ったことに対する責任はないの?
柴ゆき
柴ゆき
だからあんまり言いたくないんだって…。

 

あると思います。全ての不登校に使える、唯一にして絶対的な理由。それは…

 

学校という場所が合わない。

 

誰にだって、苦手な場所、嫌いな場所ってありますよね。

私の知り合いの旦那様に「ディズニーランドが嫌い。」という方がいます。「夢の国」として知られるディズニーランドですら、嫌いという人がいるんです。

学校が嫌い。行きたくないという人がいたところで、たいして驚くべきことじゃないですね。

だから、たとえ学校が合わなくても、「そっかぁ、学校が合わなかったんだ!」と開き直ることも前に進むためには必要かもしれません。

 

ケロさん
ケロさん
ほんとに身も蓋もない理由だった。
柴ゆき
柴ゆき
うん。でもね、これがきっと本質だと思うよ。「学校が社会に合っていない。」と思うこともあるけど。

 

これだけ、多様性を認めるように社会で言われているのに、義務教育が戦後の学校制度からほとんど変わっていないことに逆に違和感を感じます。

フリースクールにせよ、ホームエデュケーションにせよ、もっと広まってもいいと思うんですよね。

それらが認められる社会風土を整えるために、私にもできることがあるのかな、とも思っています(*^_^*)

今回のまとめ

◇不登校の原因探しは意味がないことが多い。

◇学校が全てじゃない。周りに目を向けてみる。

◇学校という場所が合わない。と開き直ってもいい。

 

以上が、「わたしが不登校になった日」でした。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!