不登校

二次障害をまねく?!不登校支援の場でのあやまった言葉かけ。

日々不登校の子、そしてその保護者の方、そして学校の先生などと接するなかで感じること…

それは

「不登校を受け入れちゃえば、もちょっと楽になるんじゃないかな〜。」

ということなんですが…どうでしょうか?

 

柴ゆき
柴ゆき
こんにちは!元不登校児で元教員、でもやっぱり学校はキライな「柴ゆき」こと柴田ゆき野です!

 

大人になってからも8年間学校にいましたが(小学校教諭として)、キライなものはどうあがいてもキライだな、てかキライでいいんだなってやっとこさ気づいて辞めました。

今は、放課後デイサービスの仕事をしていますが、たびたび不登校の子と関わることがあります。

教員時代も思ってはいましたが、「不登校を否定するから苦しくなる」のであって、受け入れてしまえば道は開けるのではないかと。

 

ただ、現状を見てみても、不登校支援とはまったく逆の方向からの言葉かけをしてしまっている人も多いです。

残念なことに。

今回は、わたしが思う不登校支援の場での「あやまった言葉かけ」についてまとめてみたいと思います。

少しでも、「あやまった言葉かけ」が減ることを願って。^ ^

 

 

まず第一に、不登校を受け入れること!

柴ゆき
柴ゆき
これができないなら、不登校支援なんてできたもんじゃないです。

 

ですが、結構できないもののようです。

学校の先生もそうなんですが、同じ児童福祉に携わる人と話していても、違和感を感じることがよくあります。

 

◇学校行きたくない

◇学校に行きたいけど行けない

◇学校のことを思い出すもの(制服・ランドセル・宿題など)を見るのも嫌だ

◇先生に会いたくない

 

などなど。ひとまとめにこうとは言えませんが、不登校の子は程度の差はあれど学校に対してネガティブな印象を抱えているものです。

支援する側にありがちなのは、「どうにかして、そのネガティブな印象をよくしよう!」と、的外れな言葉かけをしてしまうこと。

具体的に、どんな言葉かけがされているか、私の経験を元に検証してみます。

 

学校は……楽しい?!

ケロ先生
ケロ先生
柴田くん…学校行きたくないんだって?
子ども
子ども
……えっと…はい…。
ケロ先生
ケロ先生
なんでだい?学校楽しいよ〜?今クラスマッチに向けてみんな盛り上がってるよ!みんな楽しそうだよ?
子ども
子ども
あー…。(楽しいと思えないから、行きたくないんだけどな。)

 

閉店ガラガラ!(笑)

 

柴ゆき
柴ゆき
その場にいたら、心のシャッターの閉まる音が聞こえてきそうですね!

 

このような言葉かけをされる方は、自分の学生時代、きっとさぞかし楽しい思いをされたのだと推測します。

会話にも出ているようなクラスマッチなどの際に、中心で張り切っていた人だったのでしょう。

こういうタイプの方は、悪気もなく「学校楽しい!」アピールをしてくるから厄介ですよね。

もしかすると一生不登校の子の気持ちはわからないんじゃないかなと…。

 

なので、不登校の子の心のシャッターがおりてしまったことにも気づかないかもしれませんね…。

 

不登校だったら社会でやっていけない?

ケロ先生
ケロ先生
柴田くん…学校行きたくないんだって?
子ども
子ども
……えっと…はい…。
ケロ先生
ケロ先生
学校にも行けないようじゃ、社会に出てやって行けないぞ。甘えてるんじゃないか?
子ども
子ども
………。(絶対に分かり合えないな。)

 

閉店ガラガラな上に、鍵までかかってしまいそうな言葉かけですね。(笑)

「学校がすべて」と思っているタイプ。

年配の方に多いタイプかと思われます。

 

なんでこんな言葉かけになるかというと、特に年配の先生たちのなかには「学校現場しか知らない」人が多いからです。

学校の世界しか知らないため、学校に来ない子が今後どうなっていくか想像ができないんですね。

少し視野を広げてみれば、小学校、中学校と不登校でも、その後自分の道を見つけて立派に自立している人が世の中にはたくさんいるのに、そちらに目を向けることができないのです。

自分の経験がすべてだと思っていれば、視野もせまくなってしまいがちです。

そしてタチが悪いことに、そういうタイプの人には「不登校からの成功例」の話をしても、「そんなのは一部の才能ある人だけだ。」とはなから相手にしてくれない人も多いです。

目の前の子どもの可能性を信じられない人は、そもそも支援者には向いていないと思うのですが…。

 

わかったふりして…〜我慢強要型〜

ケロ先生
ケロ先生
柴田くん…学校行きたくないんだって?
子ども
子ども
……えっと…はい…。
ケロ先生
ケロ先生
その気持ちわかるな〜。先生も、そういうときがあったんだよ。
子ども
子ども
えっ…。(もしかして、わかってくれるかも…?)
ケロ先生
ケロ先生
だけどな、そんな自分の弱い気持ちに負けるもんか!って、がんばって学校に行ってたぞ。柴田くんも…なっ!!
子ども
子ども
(なんだ、結局わかってくれないのか。)

 

閉店ガラガラ。鍵も二重にかけられた感じですね。

 

なんでしょう、不登校問題に限らず、「自分もガマンしたから」って理由で、他人にも同じようにガマンを求めてくる人っていますよね。

ガマンしたのは自分の勝手でしょう。

それを人に求めるな、って話です。

しかも、そのガマンした過去を美談のように語ってくるタイプはさらにタチが悪いです。

ガマンしてでも行きたい場所だったら、勝手に行くと思いますが、そうじゃないわけです。

そうなると学校が「ガマンをするために行く場所」になってしまう。

…意味がわかりませんよね。笑

 

 

あやまった言葉かけがまねく二次障害

柴ゆき
柴ゆき
もし、身近な支援者が、上に出てきたようなあやまった言葉かけをしてくるようなタイプだったら…その状態が続けば、最悪の場合「二次障害」を引き起こしかねません。

 

二次障害にもいろいろなタイプがあり、学校を意識しただけで体の不調をうったえるようになったり、パニックを起こしてしまうようになったり…不安から眠れなくなったり…。

 

どの言葉かけも、「不登校は悪いことだ」というメッセージを含んでいますので、当然のごとく自己肯定感も下がってしまいます。

 

二次障害を起こしてしまうと、そこからの回復にまた時間がかかってしまうので、二次障害はできれば避けたいところです。

支援者の方にお願いしたいのは、自分の口から出た何気無い一言が、場合によっては重篤な二次障害をまねくこともあるということを分かってほしいということ。

 

支援するという気持ちがあるのなら、まず不登校の子の気持ちによりそい、その気持ちを認めてあげてほしいと思います。

 

「学校に行きたくない。」という気持ちは、けっして悪いことでもおかしいことでもない。

わたしはそう思います。^ ^

 

そういう声が、もっと社会に広まることを願って…。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

◇柴ゆきのつぶやき◇

「学校に行かないことは悪いことだ!」と、直接言われなくても、支援者の言葉のはしばしから、態度、雰囲気から、そういうメッセージを受け取ってしまっている不登校の子は多いと思います。自己肯定感って、一度下がったら、回復させるのってかなりの時間と労力がいると、ものすごーく感じています。自己肯定感さえ下がらなかったら、学校いかなくても「やりたいこと」って見つかると思うんだけどな。それを支援するような仕組みがあれば、なおよいのかなって考えている今日この頃。