今日は「不登校への向き合いに〜なぜ現場は学校復帰にこだわるのか。〜」というタイトルで、ちょっと真面目に「不登校」と「学校復帰」の問題について考えたいと思います。
「義務教育」という言葉の一人歩き。
現場に勤めていらっしゃる先生方は、採用試験を受ける時に勉強されているはずなんで、これは社会一般的な認識ということになりますが、「義務教育」って言葉の与えるイメージって結構厄介かなと、思います。
「義務」という言葉ですが、これは言わずもがな「保護者に対する義務」です。
教育基本法によれば、「その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。」とあり、自分の子どもに教育を受けさせる義務があることを示していることが分かります。(「別に法律で定めるところ〜」というのは、憲法第26条の第2項のことです。同じ記述があります。)
そして、ここに出てくる「普通教育」という言葉ですが、同法によると、「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」とあり、
それぞれの子どもがもっている力を伸ばして、社会で生きていける基礎を養うために行われるものってことなので…
つまり、法律上は、
当然、現場の先生たちはそんなこと知っています。(知っているはずです。)
が、いまだに不登校対応は「学校復帰」を目的としたものがほとんどです。なぜでしょうか。
先生になる人の多くは、学校で成功体験を積んでいる。
見過ごされがちですが、これ結構大きいと思います。
学校の先生になるような人は、小さい頃からどちらかと言うと「勉強ができる」とか「スポーツができる」、「友達が多い」「学級委員とか目立つことが好き」など、学校という場で成功体験をたくさん積めそうな要素をたくさん持っている人がほとんどです。
つまり、「学校」という場所に「適応しようと思わなくても適応できる素質」です。
なので、どうしても「はきはきした元気のいい子」を良しとして、「おとなしい子」や「慎重な子」に対しては「もっと前に出なさい。」という指導になりがちです。
冗談のように言っていますが、今だにこの感覚は現場に根強くあると言っていいと思います。
しかし、大人しくても慎重でも「社会的に自立する」ことは可能なんです。むしろ、その繊細さが必要になる立場もある…しかし、小さい頃から学校という場所でいい思いをしてきたことが多い学校の先生たちには、その感覚は分からないかもしれません。
先生たちは、学校以外の選択肢を知らない?!
8年間の教員生活で出会った先生たちの多くは、ストレートで学校の先生になった方でした。
2〜3人、学校以外の職場を経験し、教員になった方と仕事をする機会がありましたが、感じ方が現場一辺倒の先生たちと全然違っていて、いい意味でカルチャーショックを受けました。
今、教育現場のブラック具合が話題になることも多いですが、それも「学校以外を知らない先生たち」だからこそ、ここまでブラック化したんだろうな、と思うことが多いです。
学校に適応する能力が高い先生たちは、「上からの理不尽な要求」も持ち前の忍耐力でなんとかしてしまいます。部活で成功体験を積んだ人なら、上のいうことは絶対の世界で生きてきたわけなので、そこの理不尽さに「疑問を持つこと」すらしません。
少し、横道にそれましたが、学校以外の世界を知らない先生は、自分のクラスの子が不登校になった後、どうやって生きていくかが想像ができません。
学校以外の選択肢を示してあげることもできません。
理解しようとする意欲のある先生なら、不登校だった方の本を読んだり、講演会に行ったりして、「学校以外の選択肢」を知ろうとしてくれると思いますが…
思考ストップしてしまっている先生は、不登校の子の気持ちが理解できず「えっ?!なんで、学校こないの?学校楽しいじゃん?!」みたいな(笑)。見当違いな気持ちを抱いてしまうかもしれません。
え、そんな見当違いなこと考える人がいるの?と言われそうですが、います。(笑)
もし、担任の先生がそういう「学校楽しいじゃん!?」って本気で言ってくるようなタイプなら、もうスーッとフェードアウトで関わりを絶ってしまったほうが、精神衛生上よろしいかと(笑)
分かりあおうとする労力は、無駄に終わってしまうことも多いですので、別のものに生かしましょう!
文科省「学校復帰」の文言を見直しへ!
2018年7月11日。文科省は、学校復帰のみにこだわった従来の不登校対応を見直すため、「学校復帰」という文言が含まれた過去の通知をすべて見直す方針を明らかにしました。
今後、不登校対応がどのように変わっていくか注目すべき点かと思います。
そして、「学校復帰」を目的としないとすれば、学校とは違う「子どもたちの居場所」が必要になってくるわけなので、そのあたりの整備が鍵となってくると思います。
学校にはこだわらないよ!でも他の居場所ないよ!では、不登校対応をしたことにはならないですよね。
教育基本法の第一章の第一条によれば、「教育の目的」とは「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」のだそうです。
つまるところの教育って…
「心も体も健康で、『社会の一員』として必要とされる人間」を育てるためのものですよね。
だとすれば、道は一つではない。学校にこだわらなくても、いろいろな選択肢があっていいんです。
まずは、認識を変えることから。
今回は、「不登校への向き合い方〜なぜ、現場は学校復帰にこだわるのか。〜」というタイトルでお届けしました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
◇柴ゆきのつぶやき◇
今の学校の先生たちは、はっきり言ってやることが多すぎます。(笑)そして頑張りすぎです!いっそ、不登校の子の対応は外部に任せちゃった方がいいんじゃないかと思うことも多いです。学校が「公教育」という大きな役割を担うことは、今も、そしてこの先も変わらないと思います。学校と、フリースクールなどの学校以外の学びの場が、協力しあって幅広い選択肢を子どもたちに提案できたら、と思うのですが…なぜか、対立関係の図式が出来上がっちゃってるところもある気がして、もったいないと思う今日この頃なのです。