今日は「『不登校は不幸じゃない』って本当?」と題して、私の「不登校」に対する想いを書いていきたいと思います。
ちなみに、私、柴ゆきは「不登校は不幸じゃないinくまもと」のお手伝いを、微力ながらさせていただいております!
イベント当日(8月19日)まで、あとちょっと!
不登校関連記事を書くことで、このムーブメントに協力できたらという思いです。
では、さっそく本題へ!
「不登校」は「不幸」じゃない??
まず、私の経験談を漫画でどうぞ。^ ^
今でこそ言えることですが、「不登校」自体は全く「不幸」なことではありません。
しかし、最後のコマにも書いているように、周りの対応や受け止め方次第で、「幸せ」にも「不幸」にもなってしまう…。
不登校真っ只中の私は、実際自分のことを不幸だと思っていました。
学校に行けない自分。
親の期待に応えられない自分。
周りから優しくしてもらっても、何のお返しもできない自分。
自分の存在の全てが、意味のないもののように思えて、「いっそ死んじゃうか。」と思うこともしばしば。
でも何で、そんなふうになっちゃったかと言うと、ある固定観念に囚われていたからだということに気づきました。
それは、
学校には行かなければならない。
というもの。
確かに、子どもにあるのは「権利」です。義務は保護者側にあるもの。
それもそうなんですが、私が言いたいのは何で学校に行くかということです。
不登校は「問題」なの?
「不登校問題」…当たり前のように、現場で聞いてきた言葉ですが、実は違和感だらけです。
なぜ、「不登校」が「問題」なのか。
カエルの世界の話は置いといて。
かなり、ざっくり言うと学校へ行く理由は「生きる力をつけるため」です。
ここで、ある疑問が思い浮かぶ。
「生きる力」って学校に行かないと身につかないものなの?ってこと。
そんなことはないですね。笑
例え学校に行っていなくても、自分なりのやり方で「生きる力」を身につければいいわけで、何も「学校に行かないこと自体が問題」ではないと思うのです。
それなのに、「不登校」であること自体が問題であるかのように考えてしまうと、「学校へ復帰させること」以外のゴールが見えてきません。それだと、当事者である子どもも、親も、そして先生も、みんなが苦しくなってしまいます。
学校へ行かなくても、「生きる力」をつけることは可能です。それは、私の周りの不登校経験者も証明してくれています。むしろ、弱い立場の人の気持ちがわかる頼りがいのある人が多い印象です。
今日のまとめ
◇「不登校」自体は「不幸」じゃない。
◇ でも、不幸にも幸せにもなりうる。
◇学校以外で「生きる力」を身につけることを考えよう!
以上、「『不登校は不幸じゃない』って本当?」でした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!^ ^
『柴ゆきのつぶやき』
◇もし「不登校は不幸だ。」って言う人がいたら、じゃあ「学校に行ってれば幸せなんですか?」って聞いてみたいです。学校で、想像を絶するような辛い目にあったり、何とも言えない恐怖感を感じている人もいます。学校に行くか、行かないかだけじゃ、「幸せ」か「不幸」かなんて決められないものです。